舞台裏・楽屋の雑談

I-Dur Virtual Orchestra's BLOG

試行錯誤のシンセサウンドと音楽

2016年02月15日 (月) #スタジオ

1980年代中頃、当時のアナログシンセサイザーは、まだ、同時に1つの音しか発音できなかったモノフォニックシンセサイザーと、数音から十数音の和音の出せるポリフォニックシンセサイザーが主流で、音の高さを「CV」、音のオン、オフを「ゲート電圧」という2種類の情報を電圧として送受信することで制御していた。
楽器の値段も数十万円はざらで、100万,200万という楽器も少なくなかった。
ミュージシャンがキーボードを手弾きするのがほとんどで、まだコンピュータもシーケンサーもまともに動くものはなかった。
しかし、音楽シーンの中では急速にシンセサウンドが広がり、テレビ番組やCM、映画音楽の中で使われるようになり、様々な音が要求された。
歌番組はもちろん、紅白歌合戦、レコード大賞、歌謡祭、バラエティー番組や、コントにまで、いろいろなシーンで音作りと演出のため、僕たちは駆り出された。生番組は、緊張の連続だった。

バンドやキーボーディストの後ろや影について、音の切り替えや、何かあったときにすぐに対処できる態勢を取って、テレビに見切れないように黒子のように操作をしていたこともあった。
時には、紅白歌合戦やレコード大賞などの生番組の転換で見切れてしまったこともあった。

新人シンセプログラマーは、まだまだこういった現場の仕事も多かったが、僕がはじめてレコーディンスタジオで、本格的なレコーディングの仕事をしたのは、1983年ごろ、市川崑監督の「細雪」の音楽。
音楽の編曲は作曲家の渡辺俊幸先生。
市川崑監督は、映画「炎のランナー」の音楽(ヴァンゲリス)がお好きで、「細雪」の音楽、ヘンデルのラルゴ、オンブラ・マイ・フやパッヘルベルのカノン、をシンセサイザーのみで映像に合うようにということで、渡辺俊幸先生が編曲。

アナログシンセサイザーのみで、記憶では、ミニムーグヤ、アープ オデッセイ、オーバーハイムFVS1を使ったと思う。プロフェット10もあったような気がする。
砧の東宝の録音スタジオで、監督直々に指事され、ほとんど泊まり込み状態に近い感じで何日もかけて作り上げて行った。

今の時代なら、どんな音になっていただろうと思うが、当時としては苦労と試行錯誤の嵐だった事ばかりが思い出される、シンセサウンド過渡期の時代。

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