舞台裏・楽屋の雑談

I-Dur Virtual Orchestra's BLOG

音大時代のアルバイト

2014年04月07日 (月) #音大

通学時間があまりにも勿体ないので、下宿する事にした、やっぱり練習時間は増やしたい。
といっても、貧乏学生なので(管楽器の男達はほとんどそうだった)風呂付きアパートなんてとてもじゃないけど借りれない。
とりあえず、学校の近くの老夫婦の家の2階の、四畳半一間を間借りする事にした。
家賃は安かったが、風呂無し、トイレ共同、女人禁制、麻雀禁止...寝に帰るだけの部屋だったが大学まで歩いて1分。
なんとかもう少し広くて自分の部屋の玄関のある貸家を目指してアルバイトを探した。

1年生の頃は音楽がらみのバイトも少なく、まずは代々伝わる焼き肉やさんのバイトを先輩から受け継いでやる事にした。
夜のバイトは飲み客相手、先輩や先生、OBなどがからかい半分で良く来店する店で、主人もよくわかっているので結構気楽に働けて、おまけに賄い飯をよく出してもらって、ほんとうに当時は世話になった。

2年になり、徐々に音楽のバイトを先輩からもらえるようになって来た。
小学生を集めてちょっと地方の地域でやる音楽教室の即席オーケストラや、遊園地の音楽隊、結婚式や、どこかの会社の行事などでのアンサブルやファンファーレ舞台など、まずはそういう仕事から回してもらっていた。
ただ、だまって吹いているだけではNGで、時には楽器紹介などで、ステージ上で面白おかしく楽器の話や、楽器を使った一発芸などもやらされる事もある。そっちの方が得意で、すごく上手でおもしろい先輩もいた。

仕事に慣れてくると、都内のオーケストラのエキストラとしてステージに乗る事もあった。
山本直純先生の「オーケストラがやって来た」とか黛敏郎先生の時代の「題名の無い音楽会」、芥川也寸志先生と、黒柳徹子の時の「音楽の広場」のオーケストラのトラとして何回かテレビ局やホールでの仕事も良く回してもらった。これらは、オーケストラの正規団員が定期演奏会や演奏旅行などで欠員が出ると足りないパートの補充として先輩や先生の紹介で回ってくる仕事だった。

また、夏休みなどは結構日にちをかけて、ポップスオケや、映画音楽専門オケなどのバイトで地方回り(どさ回り的)な、楽しい仕事もあった。普段と違ってドラムやギター、ベースと言った4リズム入りのオーケストラで、当時流行っていたヘンリーマンシーニ、ポールモーリア的な編成のオーケストラで、司会が映画の、水野晴郎さんや、小森和子さんなどと一緒に回った旅だった。

東京の日劇で練習、リハーサルをした後は、地方のホールではほとんど音響チェックぐらいで時間がけっこうあるので、うまい店を探したり、海でひと泳ぎしたり、観光地をちょっと冷やかしに行ったりと、おいしいバイトだった。
お客さんもいつも満員でギャラもそれなりあるし、弁当も出るので、夜は毎晩のようにその地方の評判の飲屋さんで、みんなと宴会。
4年間の大学生活の中の夏休み、冬休み、春休みで、沖縄以外のほとんどの大都市は回ったと思う。

そうなのです、世の中はバブル時代に突き進んでいたのです。



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