舞台裏・楽屋の雑談

I-Dur Virtual Orchestra's BLOG

日本から世界へ。デジタルシンセ、FM音源のDX7登場。

2019年10月14日 (月) #楽器

1980年代中頃の音楽シーンをリードした世界に誇るデジタルシンセサイザーDX7。
アナログシンセサイザーからは革命的な進化、いち早くMIDI端子を装備し、61鍵、6オペレータ32アルゴリズムのFM音源、最大同時発音数は16音。 当時の価格は、248,000円

当時、スタジオにはムーグやプロフェット、オーバーハイムなどを持ち込んでアーティストや作曲家、アレンジャー、ディレクターなどと相談しながら色々な音色をその場で作り、キーボーディストにその場で演奏してもらう(手弾き)形式が主だった。たまにCV、GATE式のアナログ方式のコントロールを、MC-8やMC-4などで打ち込みも始まっていた。
同時発音数はモノフォニックか、4〜8ボイス、余韻のある音は次々とかき消される。高級なシンセはリングモジュレーションやクロスモジュレーションといった技を使えば、る程度の金属質の音やパーカッシブなインパクトある音も作れたが、もっとインパクトのある音、鋭い音が要求されることも。

1983年5月にヤマハからDX7というデジタルシンセサイザーが発売された。とにかく画期的だった。
完全デジタルのFM音源システム(周波数変調 = Frequency modulation)MIDI完全装備、32ポリフォニック、32メモリー、ROM(読み込み専用メモリカートリッジ)やRAM(読み書きできるメモリカートリッジ)も使えて拡張能力も未曾有。
しかし、いままでのアナログシンセとはいろんな点で異なる音の作り方、考え方でなかなかオリジナルサウンドを前面に出せるミュージシャンはいなかった。
僕も小さな白黒の液晶ディスプレイを眺めながら、研究する日々、試行錯誤のサウンド制作の日々。
例えて言うなら、アナログシンセは元の素材を削りながら作品を造形していく木や石の彫刻だとすれば、FM音源システムは、波形という部材を様々に加工して加えたり貼り付けたり差し込んだりして作っていく粘土や石膏、鉄鋼細工の彫刻のようだ。

ひととおり操作できるようになったので、さっそくスタジオに持ち込んだ。
とりあえず、エレピ(フェンダーローズもどき)の音や、グロッケン、チェレスタのような音色は大好評。パーカッシブなSEサウンドやメタリックなベースサウンドも大受け!
しかし、アナログシンセの分厚いブラスサウンドや、柔らかく優しく包み込むようなストリングスパッドのような音色はなかなかうまくできなかった。
ということで、アナログシンセとデジタルシンセはこの後もずっとき共存することになる。

DX7 VoiceROMシリーズの制作請負

2019年10月11日 (金)

そのころ僕は財団ヤマハの開発の方々と仕事をすることがよくあり、そちらに所属するタレントさんやアーティストのレコーディングにもよく参加していた。DX7はもちろんよく使っていた。
すでにそのころはスタジオでDX-7を使いまくり、アーティストのアルバムやシングルはもちろん、CM音楽やTV、ラジオ、映画、イベントやコンサートの現場まで引っ張り凧だったため、当然のようにそこで作った音色はどんどんたまっていく。
僕のDX-7のRAMにはいろいろな音色がたっぷりたまっていた。
ヤマハのお仕事でそれらを使っていると評判になり、あるプロデューサーから財団ヤマハにつながり、たまった音をカテゴリに分けて整理し、ブラッシュアップして製品にする話が持ち上がり、DX7 VoiceROMシリーズとしてYAMAHA MUSIC FOUNDATIONから出版することになった。
のちに世に出るVRC-101からVRC106の音源制作が始まった。

DX-7 ボイスロム VRC-101〜106 & 110、ボー・トムリン

2019年10月15日 (火)

それまでスタジオレコーディングで様々なアーティストの音楽制作に関わり参加して、アナログシンセと共存状態で作ってきたDX-7の音源を、その時は珍しかったYAMAHAのDXー7特製のVOICE ROMにこつこつと貯めていた。
仕事上、いろいろなレコード会社やプロダクション所属のアーティストと仕事をしていたが、もちろんその中にヤマハのタレントやアーティストの方々も居た。

ある日いつものようにレコーディンスタジオでセッションをしていると、あるディレクターがヤマハの偉い人を連れてきた。DX-7の使われ方や評判を視察に来たようだ。
そこで色々話しているうちに、今まで貯めてきたDX-7のボイスデータを財団ヤマハから出版したいので協力してくれないかと話があり、僕の所属事務所や上司と検討の上、制作開始となった。

まず、数百あった自分と同じ事務所の仲間のボイスライブラリーを整理、カテゴライズし6つのグループに分けた。
VRC-101:Keyboard, Plucked & Tuned Percussion Group(鍵盤楽器やギターと音程のある打楽器)
VRC-102:Wind Instrument Group(木管楽器や金管楽器など吹奏楽器)
VRC-103:Sustain Group(弦楽器などの音が持続する楽器)
VRC-104:Percussion Group(音程のない打楽器)
VRC-105:Sound Effect Group(ノイズ、波の音、ショッキング音、謎の音などSE)
VRC-106:Sybthesizer Group(シンセリードやベース、パッドなど)
各グループ32音色の2バンク、6グループで全部で384音色!

2019年10月11日 (金)

これらのグループに手持ちの音を分類し、さらにブラッシュアップや足りないものは追加していく作業が始まった。
当時は事務所には大きな楽器倉庫やサウンドチェックするスペースはあったけど、音を落ち着いて作ることができるルームがなかったので、楽器倉庫の片隅でヘッドフォーンでスタジオの仕事の合間の時間でコツコツと、時には深夜まで制作に明け暮れる日々だった。
できた順番にヤマハに出向き試聴会。そこで色々と注文がつけられ、その場でできるものはその場でし、あまったものは持ち帰り。
そんな中、社長に直談判して伊藤の温泉に部屋を借り、そこで二泊三日の閉じこもり作業もした。
何ヵ月かかったか忘れてしまったが、順番に世に出て行き、順調に売れたそうだ。(僕らは規定の給料のみ)

ボー・トムリンの企画を立てアメリカへ

2019年10月15日 (火)

DX-7そのものが世界的に大ヒットし、僕らのボイスロムも売り上げを伸ばしていたので、次の企画を企てた。
そのころアメリカの西海岸(L.A.)で活躍していた、スタジオミュージシャン、キーボード、シンセプログラマーのボー・トムリン(Bo Tomlyn)にコンタクトを取って、彼の名前でボイスロムを1グループ作る企画の了承を取り付け、米、カリフォルニア州のハリウッドに出発。お土産はDXー7本体。

(ペットのオウムを従わせるボー・トムリン)

ハリウッドのホリデーイン(安いビジネスホテル)に宿を取り、毎日ボー・トムリンの自宅スタジオに通い、64個の音作り。
お互い相談し、テーマを考え、カテゴライズしディレクションをしていくが、実のところ途中まで僕が作っていたような気がする。
アットホームな家庭で、奥さんにご飯やおやつ作ってもらったり、ペットと遊んだり、スタジオセッション(主に映画が多かった)に同行したり結構長い滞在だったが、あっという間にすぎた感があった。この製品もそれなりに売れたが、この後、いろいろなメーカーからDX-7のロムが発売されるようになる。

2019年10月15日 (火)

空いた時間に、有名なギターセンターなどの楽器店や、コンピュータランドなどを漁っていたところ噂に聞いていた、1984年に発売されたばかりのAppleのMacintosh512Kを見て、それにはOpcodeというブランドのDX-7エディター(Opcode Studio Vision)があった。ボウ・トムリンも使っていたこのソフトや、MIDI関連のソフトウエアを見ると、どうしても欲しくなり結構高額な出費になったが帰国時に購入し持ち帰った。

DX7II-FDの登場で、さらに盛り上がったFM音源の世界。

2019年10月15日 (火)

1986年12月に初代DX7から大幅に進化した「DX7II-FD」が発売された。デュアルモードやスプリットモード、ユニゾンモードなどで演奏が可能で、世界初のフロッピーディスクドライブ(3.5インチの2DD用)を搭載したシンセサイザーでもあった。さらに続いて1987年6月には、DX7IIを8台分使った音作りが可能なマルチティンバーに対応した「TX802」2Uの音源モジュールタイプの互換機も発売された。ともに外部機器のデータをMIDI受信してディスク保管できるMDR機能も付いていた。当時の価格はそれぞれ、298,000 円と198,000円。

音源はプリセットとともに同梱のROMが付いていたが、DX-7のROMやRAMとサイズが異なる。専用のアタッチメントを使うことで、DX-7の音源も使えるようになっていたが、音色パラメーターに互換性があるといっても発音される音が全く同じとは限らず、手直しが必要になることが多かった。
前回と同じように、またまたスタジオワークを重ねるうちにDX-7IIの音源も溜まっていった。今回はフロッピーディスクにも大量に保存することができる。ハリウッドで買ってきたMacintosh512KとDX-7エディターOpcode Studio Visionもとても役に立った。

2019年10月15日 (火)

そこでまたまた音源制作と出版の企画を、財団ヤマハの方々と企画し、3つのボイスロムを出版することになり制作した。

今回のカテゴリは3種類、音数はDX7の倍ある。
VRC-1001:DECAY group(減衰音:ピアノやマリンバ、ベース、ギター、ハープなど)
VRC-1002:SUSTAIN group(持続音:ストリングスやブラス、シンセパッド、リード、オルガンなど)
VRC-1003:PERCUSSION & S.E. group(打楽器とサウンドエフェクト:ドラムやラテン打楽器やFM音源ならではの様々な効果音など)

音を重ねたり分割したり、マイクロチューニング等、様々なアイデアが実現できるので、組み合わせのプログラムや遊びも充実していた。SEの中にはTVやラジオなどで使われる定番の音色も生まれた。洋楽のミュージシャンもこのカートリッジの音をよく使っていたようで、作った本人としてはちょっと聞いただけで、「あの音は1001の何番だ」まで分かったものだ。

マイケル・ボディッカーのアポを取り再びハリウッドへ

2019年10月15日 (火)

3カートリッジが出版されて落ち着いた頃、再度ハリウッドサウンドの企画を企てた。
今度のシンセプログラマーは、マイケル・ボディッカー(Michael Boddicker)。
彼は、マイケル・ジャクソンをはじめとするジャクソンズのアルバムや、USA for Africa We are the world のシンセサイザー&プログラミングムを担当する一流のミュージシャン。なんとかアポが取れていざ出発。今回のお土産もDX-7II本体。

ちょうどマイケル・ジャクソンのBADの録音をしていた頃で、他のも映画音楽の仕事で忙しいマイケル・ボディッカーに合間でDX-7IIの音を作ってもらう。(結構僕が作って監修してもらい、少し手をつけてもらった音が半分以上...)
あとはレストラン行ったりスタジオに同行させてもらったり(アシスタントとして)ハリウッドのスタジオセッションを目の当たりにできた。後の僕のスタジオセッションの楽器や機材のセットのスタイルは、この時のマイケル・ボディッカーのセットを参考にさせてもらった。

2019年10月18日 (金)

彼は結構忙しく、DX7IIの作業ができない日はレンタカーを借りて、財団ヤマハに頼まれたお使いをするためアメリカヤマハに行ったり、ついでにラスベガスやサンフランシスコ、デズバレーやサクラメント、メキシコに遊びに行ったりもできた。車もせっかくだからポンティアックやリンカーンなど大きなアメ車を取っ替え引っ替え借り換えて楽しむこともできた、

リンカーンタウンカーでコインランドリー(左)とスタジオ搬入口の大きな楽器車(右)

このあと、帰国してからもFM音源シリーズの音源制作は(TX802、DX21,27、DX100、WX7、WX11など)しばらく続き、勢いでKORGのM1の音源カードや、ローランドのGS楽器図鑑、音楽之友社の「音の出る楽典」などのCD-ROMやポータサウンドのデモソングのプログラムなど、どんどんマルチメディアのプログラミングの仕事が増えていくことになる。

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